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臨床検査医の方へ

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臨床検査医学への提言

臨床検査医学への提言 第十回 松尾 収二 先生

公益財団法人天理よろづ相談所病院臨床検査部
松尾 収二

著者の医師としての生い立ち、そして臨床検査医学へ思い

著者は、大学(医学部)を知らぬまま今に至る。市中病院しか知らない。表記の病院で5年間(Jレジデント2年、Sレジデント3年)の研修の後、臨床検査部(当時は臨床病理部)医員となった。その後、副部長、部長となり、2年間の大学設立準備室(病院付設の臨床検査と看護の専門学校を大学へ移行)兼務を経て、5年間の教員生活を送った。その後、故あって、病院から呼び戻され、再び部長となった。そして問題を解決し2年後に後任の部長にバトンタッチした。
上記の経歴の中で、幾度となく辛いことがあったが、多くの教訓を得た。まずレジデント時代の教訓は大きい。Jレジデントのとき、カルテをみてプレゼンテーションしようものなら、ボスからきつく叱られた。検査データもカルテを見ないで言えないとダメだった。検査も問診や理学所見と同じであったのだ。また一日2度は用事が無くても患者のところへいくことを義務づけられた。日曜日も気になる患者の病室へ行っていた。家族に会うこともあった。ボスから”答えは患者にある“と言われ、そう思うことが度々あった。
臨床検査部医員となって、常に心がけてきたことは、“役に立つ”ということであった。医員となった当初、「検査部で何をしているの?」、「検査部で○○やってくれ」、「このデータの読み方は?」等々、見る目、要求はきつかった。いわゆる研修医上がりなので、先輩の目は特に厳しかった。その後、博士号の取得、臨床研究、CPCや感染対策の牽引、そして臨床検査部としての業務拡大等、自分の役割、臨床検査部の役割を形にすることを心がけた。とにかく実践を心がけた。
宗教を背景に持つ病院と言うこともあって、患者・家族に役に立つこと、医師のみならず種々の職種に役に立つこと、臨床検査技師とともに歩むこと、学問をすること、こういったことが著者の背景に存在している。

診察作法としての臨床検査医学を追求する

臨床検査を読むことを診察作法として捉えたのは、わが国の臨床病理学、検査診断学の先駆けとなった柴田進先生(元山口大学教授、川崎医科大学学長、筆者の師匠の師匠)である。先生曰く、診察作法とするからには、患者の様態(全身状態)を伺い、いかなる疾患においても全身変調の負担がかかる主要な臓器(肺、肝、腎等)の機能障害を把握し、出来うれば、いかなる病気かを明らかにするものであって欲しい、と。この考え方は50年経った今でも正しいと著者は確信している。
臨床検査の格段の進歩により、特殊検査とされていた諸々の検査が容易に、しかも迅速に手に入るようになった。しかし、一方で、個々の検査を大事にし、きちんと読む姿勢は薄らいできた。臨床検査医学は何でもありの学問ではあるが、一本、筋の通ったものが求められているように感じる。家の建築をたとえにすれば、強調すべきはのこぎり、カンナのような道具ではなく、またそれを使って建てる柱でもない。心地よい住まいである。すなわち達成する目標が学問の内容であって欲しい。それは、臨床検査医学は臨床検査結果の活かし方を極める学問ということになる。臨床検査は、検査法(項目)、臓器・機能単位での“学”は開けているが、総合診療、総合内科のように臨床検査全体を扱う分野は遅れている。日常検査をもって、全身の状態を捉え、当たり前の病気・病態を捉え診療する、“総合”の学、“実践”の学であって欲しい。

臨床検査医学の“実践”とは、診療科、医療職を問わず、あまねく役に立つものとすること

臨床検査医学は、測定法(機器)の開発、データの保証方法等々、多岐にわたり、その進歩は著しい。そんな中、臨床検査の専門家は医師であれ、臨床検査技師であれ、自分の得意分野として、検査項目、検査法、データ管理等を全面に出す傾向にある。ちょっと脇にそれると、「それは私の専門外だから」の言葉はよく耳にする。内科や外科の医師と同じである。栄養、肝臓、腎臓、代謝等の基本臓器・機能の病態把握の重要性は今も変わらない。これらはどんな病人であっても、どんな診療科であっても共通している。臨床検査部の役割が特定の診療科に偏りがあってはならないように、臨床検査医学にも全体を見渡せる力量が期待されている。それは診療科の医師だけではない。看護師、薬剤師、栄養士、放射線技師等々、医療者誰もがみているし、期待している。
臨床検査は誰のために存在しているのか、と問われたら、誰もが患者のためと答えるだろう。患者であれば社会復帰、健診受検者であれば健康管理、アスリートであれば運動能力の向上である。すなわち検査を受けた本人およびその家族の満足や幸せのためにある。ただし、こんな中にあって、診療においては、患者やその家族にアプローチできるのは医師のみである。かつて“brain to brain”と言う言葉があったが、今は医師のbrainではなく医師の行動を変容させる医療へと変わらねばならないし、そうなりつつある。“patient to patient”、アウトカムoutcome指向の医療へと舵をきることである。それには医療職全体の関与が必要であり、臨床検査医学にもそれが求められている。臨床検査の総合的な有効活用である。

病態をアセスメントする仕組みをつくり、これを日常の“業”とする。

病態をアセスメントして報告することの重要性は誰もが思っていることと確信する。検査データに付加価値を、とはよく口に耳にするが、そうではない。当たり前のことが出来ていないだけのことであり、日常の“業”としよう。臨床検査医学の道はそこにある。医師は、特に外来において、検査結果を十分に吟味せぬまま診療に当たることは珍しくはない。専門外の検査や検査の目的からはずれた項目を軽視することもある。日常検査について病気・病態のアセスメントを行い医師に報告する。医師に気づきを与え、次の行動を促すことは、“当たり前のことを当たり前にする医療”の実践である。
ただ、日常の“業”とするには仕組みがいる。この仕組みをシステムに組み込めれば、それに越したことはないが必須ではない。一日の終わりに、目的とする病気・病態を察知するための検査データを検索することさえできればよい。極異常値等の異常値のアセスメントをやりながら発展させていく方法もある。やり方は色々ある。ゼロよりは1である。将来はAIがやってくれるかもしれないが、今、やれることをやって実績を積み上げていくことがノウハウとなる。やらない理由は無しにしよう。

さいごに

臨床検査医学の発展を担うものは臨床検査医だけではない。臨床検査技師、臨床検査に参画する企業もいる。診療科との連携、多職種の理解、協力も必要である。繰り返しになるが、臨床検査医学は総合的な学問であり、その基盤には総合的な人間学が必要であるように思う。これが著者の結論である。

JACLaP NEWS 153号 2026年2月掲載

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